2008 年 2 月 26 日

<魚眼図>インスブルック

カテゴリー: 魚眼図 — Column @ 12:00 AM

一月にオーストリアのインスブルックに行ってきた。ある年齢以上であれば冬季オリンピックの開催地としてこの街の名前を覚えているだろう。街自体は盆地で標高は五百メートル程度であるが、すぐ間近に二千メートル級の山々がそびえたっている。日本ではお目にかかれない光景である。
この街に行ったのは観光情報の国際会議に出席するためである。観光分野に情報技術を導入して魅力を高めることを目指して研究を進める、国際的な学会が主催だ。日本にも「観光情報学会」という同じ趣旨の学会があるので、国際的な連携を進めるべく参加した次第である。
冬季オリンピックが開かれたようにインスブルックはスキーリゾートの街である。市街地に雪はほとんどなかったが、学会会場前から出ているケーブルカーとロープウエーを乗り継ぐと一時間程度で二千メートルの山の中にあるスキー場に到達できる。まさに絶景である。北海道に住む者として雪質はニセコの方が勝ると思いたいが、交通の便と景色については負けているかもしれない。
観光情報の研究者の立場からインスブルックを観察すると、観光客向けのインスブルックカードというものに感心した。これを買うとバスや市電などの乗り物(さきほどのケーブルカーやロープウエーも含まれる)に乗れるだけではなく、市内のほとんどすべての観光施設にはいることができる。これ一枚だけ持っていればいいので非常に便利である。
道内にも交通機関乗り放題券や施設共同入場券などいろいろあるものの、ここまで一枚にまとめたものは見当たらない。年配の人にも外国人にも楽である。存在例があるのだから、組織の垣根を越えてぜひ北海道でも実現したいものである。
(松原仁・はこだて未来大教授=人工知能)
2008/02/26

2008 年 2 月 12 日

<魚眼図>フィッシャーを悼む

カテゴリー: 魚眼図 — Column @ 12:00 AM

チェスの元世界チャンピオンのボビー・フィッシャーが死んだ。まだ六十四歳だった。日本ではチェスがメジャーではないので大きなニュースにはならなかったが、西欧では大きな衝撃を伴って取り上げられていた。
それまでロシア(旧ソ連)の人しかなれなかったチェスの世界チャンピオンに、一九七〇年代にアメリカ人として初めてなった人である。当然のこととしてチェスは強かったのだが、非常に変わり者でもあった。アメリカ政府にたてついて国外追放になったり、チェスの国際連盟にたてついてチャンピオンの資格を剥奪(はくだつ)されたりした。将棋ファンの筆者としては升田幸三にイメージが重なるところがある。
この人がチェスファンの心をつかんで放さないのは、彼の超攻撃的なスタイルにあった。それまでのチェスは引き分け狙いで敵のミスを待つというものだったのを、フィッシャーが攻めて攻めて攻めまくって勝っていったのだ。この特徴は彼の後に世界チャンピオンとして君臨したカスパロフにも引き継がれていった。
フィッシャーは日本にも縁が深い。かなりの間日本人女性と一緒に日本に住んでいた。西欧では顔が知られていて(さらにお尋ね者でもあり)住みにくかったものと思われる。都内のチェスクラブにたまにフィッシャーによく似た人が顔を出して素人のチェスを楽しそうに観戦していたといううわさがあった。おそらくその人は本物のフィッシャーだったに違いない。最後はアメリカ政府の圧力を受けた日本政府が国外退去にしてしまった(その後はアイスランドに住んでいた)が、フィッシャーにとって日本がいいところであったと思いたい。
(松原仁・はこだて未来大教授=人工知能)
2008/02/12

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