2007 年 6 月 4 日

<魚眼図>理科系的発想

カテゴリー: 魚眼図 — Column @ 12:00 AM

本来人間に理系文系という区別は存在しないはずであるが、日本では教育の効率化(あるいは受験勉強の効率化)の悪影響で無理やり理系と文系に分けられてしまっている。日本が文系天国であることは以前この欄に書いたので繰り返さないが、理系文系という本来ない区別が存在していること自体が深刻な問題である。
最近の子供たちの科学離れが指摘されているが、この原因は子供たちに科学の面白さを教えることのできない親と教師にある。文系であることを理科系的発想ができないことの言い訳にしてはいけない。
以前も書いたが、テレビ番組の納豆の捏造(ねつぞう)問題で最も問題なのは番組制作会社の倫理なのではなく、あんな穴だらけの論理を無批判に受け入れてしまう視聴者の安易さの方である。理科系的発想の常識としての「科学リテラシー(教養)」が欠如していると言わざるをえない。
科学技術がますます進歩する中で、生命、食品、情報など最先端の科学技術が生活に大きくかかわるようになってきている。意思決定する政治家や役人が理科系的発想ができないと道を誤ってしまう危険がある。国民の方も理科系的発想ができないとよしあしが判断できない。いわゆる文系の人も理科系的発想ができないといけない(いわゆる理系の人も文系的発想ができないといけない)。もちろん最先端の科学技術を正確に理解する必要はない。それは専門家に任せておけばいい。しかし専門家の意見の妥当性を評価できる程度には理科系的発想を持っていてほしい。
どこかの国では多くの人が天動説や天地創造説を信じているらしいが、科学的に完全に否定されている血液型占いがなくならない日本もそれを笑うことはできない。
(松原仁・はこだて未来大教授=人工知能)
2007/06/04

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